犬の認知症(CCDS)|DISHAA評価ツールで初期サインを見逃さない、進行緩和の選択肢

犬の認知症(CCDS)は、8歳を超えた犬の14〜35%にあると推計されています。 うちの茶々丸(キャバプー、2024年6月生まれ)は、まだ若い犬です。認知症の話は私にはまだ早いと、数ヶ月前まで思っていました。
考えを変えたのは、一本の獣医行動学の論文でした。Salvin らが2010年にオーストラリアで行った調査では、8歳以上の飼い犬のうち約14.2%に認知機能の低下が見られました。Brisset らが2025年に Veterinary Sciences 誌でまとめた推計では、8歳を超えた犬の14〜35%が犬の認知機能不全にあたるとされます。上のほうの数字を取れば、三頭に一頭です。もう「もしものとき」の話ではありません。
もうひとつは、「Under diagnosis(過小診断)」という、その論文のタイトルでした。推定では8歳以上の犬の14.2%に認知機能の低下がうかがえるのに、実際に獣医師の診断を受けていた犬は1.9%。大多数が、正式な診断のないまま過ごしている、という調査結果です。Today's Veterinary Practice の総説が紹介する別の飼い主調査でも、7歳以上の犬の75%に認知機能不全を示唆する行動変化があったのに、それを獣医師に報告した飼い主は12%にとどまりました。早く見つかれば、進行を遅らせる手は、いまの獣医学にはあります。
私はこれを読んでから、茶々丸の小さな仕草を気にするようになりました。いま元気な彼女のためというより、十年後、十二年後の彼女のために、いまから自分の見る目を育てておこうと思ったからです。この記事は、そのための、私自身のための覚え書きです。
免責: 本記事は獣医行動学の文献を一般飼い主向けに整理したものです。認知機能の変化は脳腫瘍・甲状腺機能低下・難聴・視力低下・関節痛など、認知症ではない疾患のサインでもあります。気になる行動の変化があれば、自己判断せず、必ずかかりつけの獣医師(できれば日本獣医動物行動学会の獣医行動診療科認定医)にご相談ください。本記事内で言及する薬剤・サプリメント・療法食の使用判断は獣医師の専権です。
犬の認知症はそもそも何が起きているのか?
正式名称は、Canine Cognitive Dysfunction Syndrome(CCDS)、日本語では「認知機能不全症候群」と訳されます。人間のアルツハイマー病と部分的に似た病態で、脳内にβアミロイドが沈着し、ドパミンなどの神経伝達物質のレベルやはたらきが変化していく、というのが、現在のおおまかな理解です。
加齢に伴う変化と、病的な認知症の境目には、はっきりした線が引けません。「ふつうのおとしより化」と「明確な認知症」の中間に、グレーな移行期間があります。だからこそ初期に気づくための共通の物差しが必要で、それが、次に書く DISHAA という評価ツールです。
DISHAA 評価ツールとは何か?
DISHAA は、獣医行動学専門医の Gary Landsberg DVM が中心となって開発した、家庭で使える認知症評価ツールです。Purina Institute から無料の PDF 版が公開されています。
名前は、評価する6つの行動カテゴリの頭文字を並べたものです。
| 略号 | 領域 | 観察するサインの例 |
|---|---|---|
| D | Disorientation(見当識障害) | 慣れた庭や部屋で迷う、家具の隙間で立ち往生する |
| I | Interactions(社交性の変化) | 飼い主や同居動物への関心が下がる、逆に過剰に依存する |
| S | Sleep-wake cycles(睡眠覚醒リズム) | 昼寝が増え、夜中に起きて歩く・吠える |
| H | Housesoiling, learning and memory(不適切な排泄・学習と記憶) | トイレを覚えていたのに失敗する、覚えていたコマンドに反応しなくなる、集中が続かない |
| A | Activity(活動性の変化) | 散歩を嫌がる、逆に目的のないうろつきが増える |
| A | Anxiety(不安) | 留守番が苦手になる、夜間に落ち着かなくなる |
各項目を「該当なし/軽度/中等度/重度」で点数化し、合計点と推移を見ていくのが、本来の使い方です。一回のスコアで白黒つけるものではなく、半年・一年という単位で変化を追うほうに意味があるのだろう、と私は読みました。
自宅で続ける軽量版チェック
正式な DISHAA は項目数がそれなりにあって、毎月まるごと引っぱり出すには少し重たく感じます。私は、上の表をそのままスマホのメモに写すところから始めることにしました。月1回、夕食後の10分間で「今月の茶々丸はどうだったか」を点数化するつもりです。これなら若いうちから続けられて、十年後の比較にも使えるはずです。
ぎふ動物行動クリニックも「その日の行動と明日の行動は必ずしも同じではないため、可能であれば繰り返しの評価が望ましいと考えられます」と書いていて、私も納得しました。一日の出来不出来で一喜一憂しない、ということだと思います。
いつから、どんな変化に気づくべきか?
年齢と有病率の関係を、私が原典で確認できた数字だけで並べておきます。
| 年齢 | 認知機能の障害が見られる割合 | 出典 |
|---|---|---|
| 8歳超(全体) | 14〜35%(推計) | Brisset ら 2025, Veterinary Sciences |
| 11〜12歳 | 約28%が4カテゴリ中1つ以上で障害 | Today's Veterinary Practice |
| 15〜16歳 | 約68%が4カテゴリ中1つ以上で障害 | Today's Veterinary Practice |
※ 11〜12歳・15〜16歳の行は、DISHAA の6カテゴリではなく、見当識・社会的交流・トイレ・睡眠覚醒の4カテゴリで評価した調査を Today's Veterinary Practice が紹介した数字です。
11歳から12歳で、すでに三、四頭に一頭です。15歳から16歳になると、七割近くになります。この上がり方を見ると、「うちの子に限って」とは言えません。茶々丸はキャバリアとプードルのミックスですから、若いいまから月に一度の観察記録を残しておけば、老いはじめの変化を取り逃さずに済むはずです。
「歳のせい」と「認知症」の境目
「歳をとって、だんだん我が強くなった」「最近、夜の物音に過敏」——飼い主の語彙のなかで、そんなふうに片づけられている変化に、CCDS の初期像が混ざっているのだと思います。先に書いた「75%に行動変化、報告は12%」という隙間は、たぶんここで生まれています。「歳のせい」で済ませた瞬間に、早期介入の窓は閉じてしまいます。
Salvin らの調査(対象497頭、平均年齢11.67歳、8〜19.75歳)では、推定有病率が14.2%だったのに対し、獣医師から実際に CCD と診断されていた犬は1.9%にとどまっています。論文の結論部には、こうあります。
これらの犬の大多数は正式な診断を受けていない、という見方をさらに裏づける。(Salvin et al., 2010 抄録より/筆者訳)
14.2%と1.9%のあいだには、隙間があります。そこに落ちているのは、「歳のせいだから、仕方ないね」という言葉だと思います。
進行を遅らせる選択肢には、何があるか?
ここからは、私が獣医療の文献で確認できた「エビデンスのある介入」を、現時点で整理しておきます。あくまで紹介で、処方判断は獣医師の領域です。
薬物:セレギリン(Anipryl)
セレギリンはモノアミン酸化酵素 B 阻害薬です。ぎふ動物行動クリニックの解説では「モノアミンオキシターゼという脳内の神経伝達物質であるモノアミン(ノルアドレナリン、セロトニン、ドパミン)の分解を抑制する薬」と説明されていて、脳内のモノアミン濃度を高めることで症状の緩和を狙います。
米国 FDA は CCDS 治療薬として承認しています。Campbell らの 2001 年の臨床研究では、CCDS の症状を示す641頭にセレギリンを60日間投与しました。60日目に77.2%の犬で総合的な改善が見られています。ただしこれは対照群を置かない非盲検(オープンラベル)試験で、プラセボ効果を差し引いた数字ではありません。
そして、日本での扱いは別です。ぎふ動物行動クリニックは「日本において認可されているものはありませんが」と書いたうえで、覚せい剤原料になり得るため慎重な取り扱いが必要だ、と添えていました。使うなら、まず扱いに慣れた行動診療の病院を探して相談するところからになるのだと思います。
食事:MCT(中鎖脂肪酸)強化療法食
MCT 油は肝臓でケトン体に変換され、加齢で糖代謝が落ちた脳のエネルギー源になり得る、という仮説に基づいた介入です。Pan らが2018年に Frontiers in Veterinary Science で報告したのは、二重盲検プラセボ対照試験です。6.5% MCT 強化食を90日間与えた群では、試験を完了した26頭中23頭、88%が「改善または進行なし」に分類されました。DISHAA の6カテゴリすべてで統計的に有意な改善です。
ただし、公平に書いておきます。試験食は MCT 単独ではなく、B群ビタミン・抗酸化成分・ω-3・アルギニンのブレンド(BPB)との組み合わせでした。対照食の群も6カテゴリ中4つで有意に改善していて、MCT 群がはっきり上回ったのは見当識と社会的交流の2つです。濃度を上げた9% MCT 群は食いつきの問題で脱落が多く、大半の項目で有意差が出ていません。この系統の療法食の代表が Pro Plan NeuroCare です。Hill's b/d は MCT ではなく抗酸化成分を軸にした別系統で、Today's Veterinary Practice も両者を別の機序として書き分けています。
サプリメント:DHA・EPA・抗酸化成分
ω-3 系脂肪酸(DHA・EPA)、ビタミン E・C、SAMe、L-カルニチン、ホスファチジルセリンなどが、脳の酸化ストレス軽減を狙った成分として知られています。PS保険の獣医師監修コラムは、DHA について「犬の脳の神経細胞を活性化させたり、傷ついた神経細胞を修復したりする効果が期待できます」と説明し、EPA・ビタミン E・レシチンとあわせて挙げていました。「劇的に効く」というよりは「ベースの神経保護を底上げする」位置づけで、薬物・療法食と組み合わせる前提です。
環境整備:脳の刺激を切らさない
これが、私のような若い犬の飼い主にも、いますぐ始められる介入です。Today's Veterinary Practice の総説を書いた米国獣医行動学専門医の Wailani Sung, MS, PhD, DVM, DACVB は、環境エンリッチメントの項でこう書いています。
ペットの心を関与させ続けることで、こうした活動は精神機能の低下の進行を遅らせることができます。(Today's Veterinary Practice/筆者訳)
新しい散歩ルート、ノーズワーク、知育玩具、社会化の継続が、その具体策です。
- 散歩ルートの多様化: 同じ道ばかりでなく、月に何度か新しい道を歩く
- ノーズワーク: フードを家のなかに隠して探させる、嗅覚遊びを日課に
- 知育玩具: コングや treat puzzle を週に何度か使う
- 社会化の維持: シニアになっても他犬や新しい人と穏やかに接する機会を残す
- 基礎しつけの再確認: マテ、オスワリ、フセ、呼び戻しを日々の生活で短く繰り返す
私はこのリストを読んで、「これは老犬対策というより、若いうちから続けるほうがいいものだな」と思いました。茶々丸とのお散歩の質をいまから上げておくこと自体が、十年後の彼女への先行投資になります。
「うちの子、認知症かも」と思ったら、何から始める?
私が獣医師の解説サイトをいくつか読み合わせて整理した、現実的なステップを書きます。
- 行動の変化を「具体的に」記録する: いつから/どのくらいの頻度で/どんな状況で。動画があるとなお良し
- DISHAA で点数化する: 一回ぶんの記録を、来院時に持参する
- 他の疾患を除外する血液検査・神経学的検査: 甲状腺機能低下症などの内分泌疾患、腎臓病、難聴、視力低下、関節痛などは認知機能の変化を装うことがある
- 行動診療の専門医に相談: 一般診療で歯切れの悪い回答が続くようなら、日本獣医動物行動学会の獣医行動診療科認定医を紹介してもらう
- 進行緩和の介入を組み立てる: 薬物・療法食・サプリ・環境整備を、犬の状態と家計に合わせて組み合わせる
「気のせいかもしれない」で終わらせないこと。早く見つけて早く手を打つほど進行を遅らせられる、と Today's Veterinary Practice の総説も繰り返し書いています。
飼い主側のセルフケアも忘れない
散歩をしていると、先代の犬を看取った話を、年配の飼い主さんから聞くことがあります。立ち入って詳しくは聞けません。ただ、文献を読むと、その大変さの輪郭は見えてきます。CCDS が進むと、夜泣きで飼い主が眠れなくなる、排泄の失敗で家がよごれる、出かける予定が立てづらくなる——日々の負担が、じわじわ重くなります。
ぎふ動物行動クリニックは、そこを正面から書いていました。
飼い主さんにも生活があります。飼い主さんが精神的・身体的な限界を迎えれば、犬のケアをしてあげることすらできなくなります。
読んで、少し救われた気がしました。飼い主が倒れないことが犬のケアの前提条件なのだと、私はここを受け取りました。一人で抱え込まず、家族で交代制を組む、ペットシッターやデイケアを使う、訪問獣医を視野に入れる——選択肢を早めに知っておくこと自体が、備えになります。
まとめ
最後に、もう一度まとめておきます。
- 犬の認知症(CCDS)は8歳を超えた犬の14〜35%。11〜12歳で約28%、15〜16歳で約68%が、4カテゴリ評価で1つ以上の障害
- DISHAA 評価ツール(D見当識・I社交・S睡眠・H排泄と学習記憶・A活動・A不安)を月1回でいいから記録に残す
- 「歳のせい」で片づけた瞬間に早期介入の窓は閉じる
- 進行緩和の手はある。セレギリン(非対照試験・641頭で60日後に77.2%改善)、MCT 療法食(90日後に88%が改善または進行なし。対照食も4/6カテゴリで改善)、ω-3 サプリ、環境刺激
- 環境刺激は若いうちから始めると先行投資になる。新しい散歩ルート、ノーズワーク、知育玩具、社会化の継続
- 行動の変化は具体的に記録し、認知症ではない疾患の可能性を除外しつつ、必要なら行動診療を受ける
- 飼い主のセルフケアも、犬のケアの質を支える
茶々丸は、まだソファの上で大きなあくびをしている、若い子です。十年後、彼女が老犬になって、私の声に振り向くテンポが少しゆっくりになっても、慌てずに月に一度の DISHAA メモを取り出して「ちょっと変化あったかな」と冷静に書ける飼い主でいられるように、若いいまから、はじめておこうと思います。
月一回のメモの置き場所には、SiPPO Friends のデイリーケアと健康記録がちょうどいいと思っています。体重・通院・行動の記録を一箇所にまとめておけば、十年後に獣医師へ見せる資料が、私の記憶より正直なものになるからです。
体重・体型の継続観察については 犬のBCS完全ガイド に、毎日のうんちチェックについては 犬のうんち完全ガイド に、それぞれ書きました。BCS、便、そして DISHAA を、月一回の家庭健診として並べると、けっこう網羅的です。
よくある質問
- 犬の認知症は何歳から気をつけるべき?
- 8歳を過ぎたあたりから、行動の変化を意識して観察しはじめるのがおすすめです。Salvin らが2010年にオーストラリアで行った調査(対象497頭、8〜19.75歳)では、8歳以上の犬の約14.2%に認知機能の低下が見られました。一方で、獣医師から実際に認知症と診断されていた犬は1.9%にとどまります。Brisset らが2025年に Veterinary Sciences 誌でまとめた推計では、8歳を超えた犬の14〜35%が該当するとされます。
- DISHAA評価ツールとは何ですか?
- 獣医行動学専門医の Gary Landsberg DVM が中心となって開発した、家庭で使える犬の認知症評価ツールです。見当識障害・社交性・睡眠覚醒リズム・不適切な排泄と学習記憶・活動性・不安の6つのカテゴリを「該当なし/軽度/中等度/重度」で点数化します。Purina Institute から無料のPDFが公開されています。
- 犬の認知症の初期サインにはどんなものがありますか?
- 慣れた庭や部屋で迷う、家具の隙間で立ち往生する、飼い主への関心が下がるか逆に過剰に依存する、昼寝が増えて夜中に起きて歩く・吠える、覚えていたトイレを失敗する、覚えていたコマンドに反応しなくなる、目的のないうろつきが増える、留守番が苦手になる、といった変化です。「歳のせい」で片づけないことが早期発見につながります。
- 犬の認知症の進行を遅らせる方法はありますか?
- セレギリン(Anipryl)は、Campbell らが2001年に641頭を対象に行った非盲検の臨床研究(対照群なし)で、投与60日後に77.2%の犬が総合的に改善しました。MCT強化療法食は、Pan らの2018年の二重盲検プラセボ対照試験で、90日後に完了26頭中23頭(88%)が改善または進行なしと判定されています(対照食の群でも6カテゴリ中4つは改善)。ほかにDHA・EPAなどのω-3サプリメント、新しい散歩ルートやノーズワークによる脳の刺激も選択肢です。薬や療法食の処方判断は獣医師が行います。
- 認知症と他の病気はどう見分けますか?
- 認知機能の変化は、脳腫瘍・甲状腺機能低下症などの内分泌疾患・腎臓病・難聴・視力低下・関節痛などのサインでもあります。血液検査や神経学的検査でこれらを除外する必要があります。いつから・どのくらいの頻度で・どんな状況で起きたかを具体的に記録し、可能なら動画を持参して獣医師に相談してください。
出典・参考文献
- DISHAA Assessment Tool — Purina Institute(Landsberg DVM 作成)
- Under diagnosis of canine cognitive dysfunction: a cross-sectional survey of older companion dogs — Journal of Veterinary Behavior(Salvin et al., 2010)
- Attitudes of Australian Veterinary Professionals to Diagnosing and Managing Canine Cognitive Dysfunction — Veterinary Sciences(Brisset et al., 2025)
- Efficacy of a Therapeutic Diet on Dogs With Signs of Cognitive Dysfunction Syndrome (CDS): A Prospective Double Blinded Placebo Controlled Clinical Study — Frontiers in Veterinary Science(Pan et al., 2018)
- Cognitive Dysfunction Syndrome in dogs — Purina Institute
- Updates on Cognitive Dysfunction Syndrome — Today's Veterinary Practice
- A noncomparative open-label study evaluating the effect of selegiline hydrochloride in a clinical setting — Veterinary Therapeutics(Campbell et al., 2001)
- 犬の認知症(痴呆)の治療 — ぎふ動物行動クリニック
- 犬の認知症の症状と原因、治療法について — PS保険 ペット保険のPS保険
- 獣医行動診療科認定医制度 — 一般社団法人日本獣医動物行動学会
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SiPPO Friends 編集部
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